須坂高山基線

みっちゃん

2018年01月21日 12:11

今のように衛星写真を基にして地図を作る前は、(たぶん伊能忠敬のころも)地上に旗を立てて三角点として、高校の頃に習ったサインコサインの三角関数を駆使して二地点間の距離を求めていた…はず。
話は明治時代に遡り、ここの距離を基にして測量を始めましょう!というのが全国に14コあった基線。その一つがここ(と、東端は高山村)凸凹した地形の上をどうやって距離を正確に測ったのかはわからないが、数mの尺をつかって数キロという基線を測ったのだとか。何度も何度も往復したんだろうなぁ。すごいのは、その距離ってのが今の人工衛星から求めた距離と寸分の違い(違いは1センチ以下)もなかったということだ。1センチなんてちょっと石を傾けたら狂ってしまうぐらい?(笑)
そんな大事な地図の基になった地点は全国的には今ではどこにも残っていなくて、両端がちゃんと残っているのはここ須坂高山間のものだけ…ということをFBでしった(笑)
何気にすごいものが実は家から1kmのところにあったのだ。


この須坂高山基線から井上山、小布施の雁田山、長野市の髻山(もとどりやま)、根子岳のそれぞれの三角点を結んで三角点網がどんどんと広がっていったわけ。

そう言えば、一等三角点ってのも須坂の井上山にはあるんだな。点の記で有名な剣岳の山頂にあるのは二等三角点だと思えば、井上山の山頂にある一等三角点って実はエラいのだ(笑)長野市の髻山も一等三角点だけど。
同じように、小布施の雁田山には旧国鉄電波反射板ってのもあって、あれがなかったら国鉄の運行がスムーズに出来なかったわけで、大事だったものがこの須高地区には多いけど、知らないだけなのだ。

この須坂基線西端点は須坂市指定史蹟に指定されています。
https://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=96



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